今泉さんはお米の専業農家さん。傍らで自分たちが食べる分の野菜などを育てて、時期によってはシルバーさんとして働いています。手掛ける田んぼは何カ所もあるため、面積は正直私ではわかりません…。結構な面積だと思われます。
こだわりは農薬を使用せずに集落の北側にそびえる山々から流れてくる山の水で育てます。
数年前にこの山の中腹に高速道路の建設が始まり、水質が変わってしまわないか…水が途絶えてしまわないか…と大変心配なことがありました。幸い、影響はなかったため一安心でした。お米はやはり水が命です。
3月に入ると苗づくりが始まります。種もみを熱湯消毒後、専用の播種機によって育苗箱に蒔いていきます。
水・温度を管理していくと発芽し、田植えまでしっかりとした苗に作り上げるのも技術で、その後の生育にも大きな差がでてしまいます。
その間、田んぼの準備も並行して行われます。トラクターで本格的な田起こしする前にはレンゲを撒き、春にはピンク色に染まります。きれいに咲き誇るだけでなく、土の肥料目的としてレンゲを撒くことによって緑肥になります。こうした昔ながらのひと手間も惜しまず残っていることも、ここへ来て知りました。
その後トラクターですき込み、水を張り代掻きが行われ、田植えの準備に入ります。
今泉さんは、新城の地域で栽培されているミネアサヒや豊橋で偶然に発見された女神のほほえみ、もち米などを栽培しています。
健次さんが田植え機で植え、次子さんが育苗箱を運ぶといった連携も阿吽の呼吸。
田植えが終わると、水の管理や苗の状態を毎日見回り、田んぼの草刈りも大事な作業です。台風や大雨の日は特に気を使い心配が尽きないと思います。そして、近年の夏の異常な暑さも田んぼにとっては大問題。一時は冷夏で…はありましたが、最近はその逆で、人間と同じように稲も暑さは苦手。ミネアサヒは山の環境に適している品種なため、過酷な暑さは高温障害となってダメージを受けてしまうそう。そして健次さんも熱中症になるくらいと、夏の管理も本当に命がけになってしまっています。というもの、夜の温度は豊橋より下がるものの、日中は豊橋より暑くなっている中心街の新城…これからも心配なのが夏の暑さとも言えます。
なんとか乗り越えると、いよいよ稲刈り。天気とにらめっこしながら、コンバインで健次さんが収穫をしていきます。(ちなみに、所有のコンバインなどの農機具には冷暖房が完備されているとのことで、お弁当とお菓子と水筒を持ってよく乗り込んでいると次子さん)
ここでも阿吽の呼吸で脱穀された籾を袋に入れて運ぶ作業を次子さんが行う。収穫後は、倉庫にある乾燥機やもみすりの機械、冷蔵庫があり保管管理されます。3月に始まり11月いっぱいまで田仕事となり、1年分を約9カ月大変なお世話をして初めてお米を食べることができることを改めて知り、ご縁がなければ見ることはなかったと思います。食べていけるのも生産者さんが作ってくださるからで感謝しかないです。特にお米は自分たちでは作れない農産物の一つ。日本人にとっては生活から切っても切れない大切なお米、元気の源だ!余談ですが、健次さんが入院をした時に、自分のお米以外を口にすることがなかったため、退院後に自分のお米を食べた時に「自分の米が改めてうまいと思った」と言ってみえました。ごはんのおいしさで笑顔になり、ほっとできる味はなによりもご馳走かもしれません。
ここ数年で、年齢的なものもありお孫さんたちが大変な時期は手伝ってくれるとのこと。今後のことも考え伝承していくことも視野に入れているそう。年に1度ですし、工程もたくさんあるから大変だと思います。今泉家の技術もありますから。